昭和37年のこと、愛知県北設楽郡稲武町で一番の美田と誉められた山田久次郎の田がありました。その米のあまりのおいしさに、県農協から皇室に献上するお米を作る献穀田に指定されました。 その献穀田は竹矢来で囲われ、御旗をあげ、奥三河の銘柄米「ミネアサヒ」は山田家総出で雨の日も風の日もそれはそれは大事に育てられました。収穫後は白衣とマスクをつけ、ピンセットで一粒一粒丁寧に選り分けられました。そのお米を、山田久次郎夫婦が皇室まで出向き献上し、昭和天皇に大変喜ばれたということです。 現在でも、ピンセットが最新の選別機にとって変わったというものの、一粒一粒規定にそったお米だけが選り分けられています。 この「献穀米」は、山田久次郎の田で、当時の作り方そのままに大切に育てられたお米です。毎月2俵(106Kg)限定。